6月 18 日、数日前から後頭部に痛みがあり、鹿児島の厚地脳外科へ出かけた。

一泊二日、夜はどう楽しもうかなーと軽い気持ちで病院へ。
問診の後、MRIを二度も行った。
結果、「右椎骨動脈解離」
血管は、3層になっていて、その内側の層になんらかの原因で傷ができ、血の流れ
が悪くなる。簡潔に言うと、脳梗塞とか、くも膜下を起こす手前と俺なりに解釈し
た。
手術とか、治す方法はなく、血圧を抑え、血の流れをスムーズにする、自然と治る
のを待つしかないそうだ。
結果、二週間ほど入院して、安静にすることとなった。
その日から入院となったので、一時間もらい、ホテルに荷物を取りに戻った。
限られた一時間、荷物を引き取り、パチンコ店に当分来れないなーと寄り道。悪い
事をして警察に出頭する前の気持ちだなと凹んだ。
早々に切り上げ、書店へ。日頃、本なんて読まない俺が本を探す。そして、大量に
本を買い、病院に戻った。
早速、手には番号と名前付きのリストバンドが付けられ、点滴開始。
「いつまでするの」と聞くと「一週間ぐらい」と笑顔での返答。入院しながら、ま
るで病人だなーと改めて思った。
24 時間点滴、機械のコードが届く部屋内だけの行動。一日中限られたスペース、ホ
ームグラウンドはベッドの上。部屋から出れない、これが意外と苦痛。服も着替え
られない。夜中も寝相が悪くて点滴が止まり、機械のアラーム音が夜中鳴り響く。
この点滴がまるで鎖のように俺の自由を奪った。
始めの数日は、時間の流れがとてもゆっくりで「安静」という時間につぶされるよ
うだった。
今まで休みなく、慌ただしかった時間が、このゆっくりな流れに身体も頭もびっく
りしているだろう。
病院食も始まった。
「ヘルシーでシンプル」一口サイズよりさらに小さく刻まれた料理だが、一つ一つ
が工夫されている。いつもの勢いで食べればすぐになくなってしまう量だ。
「はらへったー」「はらへったー」
もし今願いが叶うなら、この料理を腹いっぱい食べたいと思う毎日。そんな時、栄
養士が来て、少しごはんの量増やしますかと言われたけど「いい機会だし、痩せた
いのでこのままで」と返した。でも、お腹はすく、テレビを観ていてもすべて美味
しそうに見える。
まるで、減量中のボクサーみたいだ。
部屋にあるのは、水と果物味のあめ。水は必需品、あめはこの空腹を紛らわせる事
ができたし、一袋でたくさんの味が楽しめた。
窓の外は梅雨、俺の心の中も梅雨。
朝、目覚めが早い、6時前には目が覚めて健康的な生活。定期的に管理される体
温、血圧、血の検査。
食事も一食 30 分かけて食べた。
鳥の口のように間をあけて少しずつ味わって食べた。
太陽が恋しい。健康が一番だと考える毎日。
普通、ゆっくり休める日があれば幸せだと思うけど、実際こうなると、安静ほど苦
しい。
今まで好きな物を好きな時に好きなだけ食べて、そして好きな事をしてきた。
早く退院したい。早く自由になりたい。
退院できたら、今まで以上に人にやさしく接する事ができるだろう。
もし今、代わりたい人がいたら、今の俺なら喜んで代わるだろう。
ベッドの上でいろんな事を思い出した。
昔飼っていた犬の事。
小学生の頃、学校から帰ってきて 10 分くらいしか散歩に連れて行かなかった。
その時、犬が小屋に入りたがらなかった。
いつも鎖につながっている犬の気持ち。
また、寝たきりになって数年過ごしたじいちゃんの事。
床ずれを起こし、横になっていることが苦痛でしかなかった。いつも変わらない天
上を見つめ、動かない身体に「うおー」とうなりながら嘆いていた姿。そんな苦し
みを分かってあげられなかった自分。家族なのに、自分の事しか考えていなかっ
た。車イスでも買って、外に散歩に連れて行ってあげれば良かった。
今になって自分を責めた。
入院して自分を見つめなおす毎日。
先が見えない、いつまでこんな日が続くのだろうか。
あと何日と分かっていれば頑張れるのに、目標がなければ頑張れない。
分からないから不安になり、わかる人に救いを求めてしまう。
だからこそ、わかる人の言葉一つ、行動一つが問われる。
葬儀も同じ。
平常心でいられない人の心に寄り添って、不安を取り除いてあげることが大切だと
思った。
ある日、従業員から花が届いた。
いつも作ったり届けたり送る立場だったけど、今回は初めてもらう立場になった。
花があるだけで気持ちがいい。すごく心が和む。
花っていいなー。
息詰まっている俺の心を何ともいえない安らぎと温もりで埋め尽くしてくれた。
お花に込められた気持ちに感謝した。
今日、久しぶりに晴れた。
入院して一週間、シーツ交換があった。
しばらくして部屋に戻ると、真っ白なシーツ、とても肌ざわりが良い。
シーツを換えただけで俺の心に新しい風を送ってくれた。
少しだけ開く窓から入ってくるささやかな風。
日常生活をしていたらただの雑音でしかない車の音。
少ない自然の中から聞こえてくる鳥の鳴き声。
それだけで幸せを感じることができた。
洗濯も喜んでした。
あの限られた部屋を飛び出し、洗濯機が止まるまでの時間がなんとも生活感を感じ
る事ができ楽しかった。
またある日は、一階の外来のイスに座り読書。
ただ周りの人の動きを感じるだけで、気が紛れた。
車イスの患者さん、付き添いの人、お見舞いの人、そしてスーツ姿の頭の低い営業
マン。たわいもない人の動きが楽しかった。
世の中の流れと違い、ゆっくり流れる入院生活。
そんな生活に慣れてきたある朝、「同級生S君が死んだ」と友達からの知らせ。脳卒
中で家の前で倒れていたそうだ。
ついこの間、同級生T君が亡くなったばかりなのに、立て続けにS君の死。
この前T君の葬儀に来ていたS君が私達に別れを告げた。
死と隣り合わせの毎日。
また、いろんな身体の不調を訴え、入院する同級生。
その中の一人に俺もなってしまった。
同級生の間でも、みんな気をつけろと、人ごとではない状態。
今、俺は生きて、ベッドの上にいる。
生かされている自分。
息をしてる、人と話ができる、笑顔でいられる、今、生きている事、それが幸せな
んだ。
この入院生活は 10 日間で終えた。
短いようで長かった。
人生の中での 10 日間と思い、安静を重視し、過ごしてきた。
いろんな事を考えた。
家族の事、仕事の事、自分自身の事、過去そして未来。
人は生きている中でたくさんの人に支えられ、今の自分がある。
だからこそ、相手の事も自分の事のように考え、接する事。
人に感謝、親に感謝、健康に感謝。
「ありがとう」の気持ちをいつも心に、一日一日を大切に生きていきましょう。

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