父から会社を引き継いだのが 25 歳。それから早や 23 年の月日が流れた。振り返れば何か大変だったけど、あっという間に流れたなーと思う。
今ポケットの中には目薬とリップが必需品となった。
そしてもう目の前に 50 歳。子供達も各人生を進み、生花店、葬儀屋に行った二人も
あと数年したら帰ってくるだろう。
帰郷後、子供が行動しやすいように、数年後には引き継がないといけない。そう考
えると、私の時代は数年。
世間を見渡せば、息子さんや兄弟に引き継いだりして世代交代が進んでいる。
私が 25 歳の頃は、建設業界が元気で、ある地域など石を投げれば社長に当たると言
っていいぐらい、たくさんの社長がいらっしゃって、屋久島を牽引してきた。だか
ら、会社名、社長名、お顔を覚えるには時間がかかった。そんな若い私にとって
は、どの社長も怖い存在だったのだが、かわいがってもらった。
そして今、世代交代した息子さん達は、若くやる気にみちあふれており、怖いもの
知らずって感じで、数年前の自分もこんな感じだったんだろうなと思う。
いろんな会合も、昔はそんな先輩達について行くだけで楽しかったのが、今は先輩
達も去り、後輩達の力に押される状態になった。
先日、ある会社の前社長夫婦と話す機会があった。この会社は私が知っているだけ
で三代目となり、前社長は会社だけでなく、この屋久島のためにと先頭に立ち、私
からすると「ミスター奉仕」と言えるぐらい頑張ってこられた。息子さんが帰って
きて数年、徐々に引き継いできたが、最近すべてを引き渡した。
一線を退き「寂しくなった」と奥さんの言葉…いつか訪れる自分の言葉になるだろ
う。
世の中、流れているよなー。つらく苦しい事もたくさんあったけど、引き継いだこ
とで、その苦しみから解放され楽になれるんだけど、同じように寂しさが訪れるだ
ろう。
今まで自分自身、走り続けてきた。
自分自身、一歩踏み出さないと何も変わらない。
つらく苦しい一歩だとしても、踏み込む勇気、信念が大切。まるで草むらに踏み入
る感じで、その先に見える光さす平原にたどり着くために…
私自身、斎場を建設するたびに、たくさんの圧力がかかったし、反対があったし、
人によっては塩をまかれたり、親に文句を言ったりした人もいた。でも、利用さ
れ、その便利さを理解してくださり、葬儀だけでなく法事にも利用してもらってい
る。
「斎場が近くにあってよかった」と言ってもらえることで、つらく苦しかったけど
やり遂げて良かったと思う瞬間がある。
N 氏が言った言葉
「歳をとっても役に立つ人間でありたい。生涯現役」
この言葉のように私も引き継いだ後も子供達のため「生涯現役」の気持ちで支えて
いきたいと思う。
そう、今の両親のように…
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