最近、皆が感じるように、亡くなる人が多かった。

歳に関係なく、訪れる死、突然の別れ。そのたびに、考えさせられることばかりだった。
24時間、時間関係なく、搬送、打ち合わせ。
自分自身は仕事だけど、目の前にいらっしゃる人達は大切な人を亡くし、悲しみと不安な顔立ち。
時間をあけてあげたいけど、実際、打ち合わせをしないといけない。
言葉に気を使い、間をあけながらも、少しずつ話を進める。
そんな中に、今でも耳にする言葉。
棺は燃やすから一番やすんとでよか、良い棺に入れる意味わからんとか、亡くなった人に聴かせたい会話。
ほんと、そのたびに、別に良い棺にしなさいと言うわけではない、その言葉を言わず決めれば良いのにと、残念な気持ちになる。
そうそう、お父さんが亡くなった時によく聞く言葉、男親って、亡くなった時も、母親にはかなわない。
今回、ほんと、身近な人々が突然別れを告げた。
つい数日前に会った人が、今はいない。
えっどうして、なぜの言葉の後は、生前のいつもの姿、いつもの笑顔、いつもの笑い声が溢れてくる。
いつかは別れが来ることは、わかっているけど、なぜ今、なぜあなたなの。
生と死、紙一重、なんだろうね、命って。
そんな気持ちは、一本の電話から始まる。
○○が亡くなったよ、同級生の○○が事故で亡くなった。
えっなんで、嘘だろ。
気持ちの整理がつかないまま、少しの望みを胸に事故現場に向かう。
陽が沈み、夜の暗闇の中に、消防、警察、仕事の関係者など集まり、対応にあたっていた。到着後、無線連絡で心肺停止、硬直あり死亡確認。数時間後、皆の力で降ろさせた遺体袋。
その状況を見て、現実を実感し、悲しみにあふれた。
病院に運ばれ、死因確認。
ロビーで待つご両親、兄弟そして、同級生。
そんな家族にかけられる言葉は、なかった。
数時間後、俺は同級生の立場から、葬儀社という立場に気持ちを切り替えるしかなかった。
あらためて、服を着替え、病院に迎えに行き、自宅まで送った。
布団に眠る同級生、普通に寝てるようにしか見えない。
そのそばに寄り添うご両親の姿。
自分の親の姿がかぶり、悲しみを増幅させた。
亡くなった同級生とは、一番家が近く、幼馴染みであり、小さい頃は、自宅に遊びに行ったこともあり、あまりにも身近な存在だった。
悲しみの中にも、時間だけは刻々と過ぎていき、葬儀の日を迎えた。
たくさんの同級生が島外からも来てくれた。
同級生代表挨拶に遺族の挨拶、そしてお花を入れて最後の別れ。
棺の中で、たくさんの花に囲まれた同級生の姿を見たら、今まで我慢していた気持ちが、涙と一緒にあふれ出した。
○○は、ほんと良いやつでした。
自分のことよりも、いつもまわりのみんなを気遣う心の優しい○○だった。
これからも、同じように歳をとり、同じように還暦を迎え、人生を終えると思っていた。
○○、お前との別れはつらく苦しいけれど、さよならは言わないからな。
○○、ほんと、今までありがとう。
と、伝えた。
最後に、ふたを閉めるときに、お父さんからの一言。
ほんと、この言葉しかない、親心。
そして、同級生は旅立った。
これから、何度この気持ちを味わわなければいけないのだろうか。
親、同級生との別れ、次は自分が旅立つかもしれない。
ただ、はっきり言えることは、別れはつらく苦しいけれど、親より先に旅立ってはいけない、頂いた命だからこそ、親を悲しませてはいけない。
こんな気持ちを、同級生の死で感じるとは。
悲しいことです。

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