そんな中、姶良市に葬儀出席のため、朝一の高速船で出かけた。
10 時前、鹿児島到着、レンタカーを借りて、11 時半から開式だったので、慌てないように早速姶良に向かった。
磯あたりで、コンビニが目に入り、トイレに行きたいな〜とは思ったのだが、姶良まで 30 分くらいだから大丈夫だろうと、我慢した。
その頃は、雨はそんなにひどくなく、いつもと変わらない桜島を横目に海沿いの 10号線を走る。
ちょうど、病院を過ぎたころから、徐行運転になり、最後は動かなくなった。
なんだろう、事故かなと思いながら、カーブを曲がるかなり先まで渋滞の様子が分かった。
この渋滞で待つことよりも、もっと深刻な問題があった。
トイレに行きたい、まだ、気になる程度なんだけど、トイレに行きたい。初めは、音楽を聴き気をまぎらわせていたんだけど、なんか身体が暑い。クーラーを強くすると、涼しいのだが、身体が冷えて逆にトイレに行きたい気持ちを増幅させてしまった。
だから、クーラーをつけたい、消したり、時には窓を開けたりで、一人じたばた。
この渋滞を抜けるには、あとどのくらいだろう。
もしもの事をいろいろ考えた。空いたペットボトルにすべきなのか、こんな時っ
て、結構出るんだよなー、出してみないと分からないけど。こんな時にビニール袋がない、車のマットにして、あとで水洗いしようか、バッグに入っている着替えの服にすべきか、この車内で、これだなという良いアイディアが浮かばない。
車外を見ると、竜ヶ水集落に入るような脇道を発見。ここを入ればトイレ問題解決かなと思いながらも、追い越し車線を走っていた俺は、そのチャンスを逃してしまった。
そのまま徐行していると、堤防沿いに駐車でき、海岸に降りていける所を発見した。ラストチャンスだ、ここしかない、でも待てよ。ここで止まったら、絶対、後続車の運転手は、あいつ、トイレに行きやがったと思われるなー、そう二度と会う
ことはない人の気持ちを考えたりで、ここも通過してしまった。
もう残された道は我慢、ひたすら我慢。
よく、高速などで大渋滞発生するけど、女性の方とかどうしてるんだろうなー。そんなことを考えながら、姶良入口までやってきて、原因が土砂崩れだと分かり通過すると、車の通りが良くなった。
さあ、それからが時間との勝負、サッカーでいうとハーフタイム。皆の車の流れからいち早く離れ脇道へ。慌てて車を降りる。すると、身体も先が見え安心したこともあり、筒先へ大量の水が流れ込む。あー限界と同時に、放水開始、あー幸せ。
終わりが近づくにつれ、周りの景色が見え、虫の声が心に聴こえてきた。そして、何もなかったような顔をして、葬儀に参列をした。
あーよかった。
今年も早いもので、もう8月、暑い夏になった。
毎年、歳を重ねるたびに時間の流れを早く感じる。
あーあと少しで 49 歳だ。若い時は、40 代はおじさんだあーって、先の話だと思っていたけど、もうその歳を迎えちゃった。確かに、老眼になり、白髪が増え、疲れがとれにくくなったなー思うんだけど、気持ちとヘアースタイルだけは変わらない。
あ、腰回りは重りがついたのを忘れてた(笑)
ヘアースタイルのパーマは、高校2年からかけており、嫁より付き合いが長いのだよね。
30 年以上前の話となるんだけど、高校1年の頃は、まず坊主だった。1年はみんな坊主、2・3年生は、ロングヘアーにパーマをかけている先輩達も多く、とても高校生には見えなかったな。そんな怖い先輩達と、全寮制、先輩達には絶対服従の世界。先生よりも先輩達が言うことが絶対だった。
1年の二学期になると、先輩達の許しが出て長髪になった。みんな、朝からジェルやムースをつけてお洒落に時間をかけていた。そう、俺もロングになり、左右は刈り上げ、真ん中から髪を分けて被せる段カットをしていた。今ではとても想像できないんだけどね(笑)
そんなお洒落を楽しむ時間は、長く続かなかった。誰かが、3年の中でもリーダー格の先輩の機嫌を損ねたらしく(おい、1年お前たち、最近態度悪いな、明日までに皆、坊主な)との一言。それから大変、寮のあちらこちらで、鳴り響くバリカンの音。友達同士で髪を切る。長くなった髪が落ちるのと同じように、皆、悔し涙を流した。
鏡に映る、久しぶりの坊主頭。鏡の横には、要らなくなったジェルとドライヤー。
その作業は、夜遅くまで続いた。そして次の朝、天気は快晴。下を向いて登校する1年、そんな姿を見て驚きながらも声を殺し笑っている女たち。今でも、あの日のことは忘れない。
そして、そんな先輩達は卒業し、俺も2年となり、みんなロングになった。その頃は、俺達は自分達が立ち上げた野球部に入り、高校生球児。ロングのやつもいたけど、俺はパーマをかけショートスタイル。月一回、串木野まで出かけては、4000円のパーマをかけていた。
そんなある日、パーマをかけ寮に帰ると、入口には泊の先生がいて、声をかけられた。
おい、山野、お前の頭はなんだー
やべーと思いながら、こや、地毛やがーと反論。急いで部屋に逃げた。我ながら地毛はないよなー、だって寮を出て行く時は直毛のツンツン頭なのに、帰ってきたらクリクリ頭だもんなー
この後、別にそれ以上のこともなく、謹慎にもならず、その頭で高校野球、高校生活、そして卒業も迎えることができたんだよね。
今では絶対あり得ない話なんだけど。
そんな夢みたいな時代から 30 年、あれから変わらないヘアースタイル。今の世の中、パーマをかける人が少なくなった。葬儀社の若い人達に、パーマかけたら楽だよと勧めると、いやいや、サービス業ですから、無理ですよ、それに似合わないし、と断られ、昭和の忘れ物と命名され、笑われた。
飲み屋に出かければ、飲み屋の女性につまようじをさされたり、ブロッコリーと言われたり、歳 30 代と言えば、30 代にはそんな頭の人はいないと笑われる始末。
でも、俺はやめない、パーマかけられるまでかけてやる。
床屋さんのためにもやめないぞ。
昭和の忘れ物、今日も健在です。
最後に補足ですが、パンチでは、ないですから。
アイロンパーマですから、間違えないようにお願いします
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