最近思うこと。

よく報道されているセクハラ・パワハラ問題。
数年前までなかった言葉「セクハラ」で、最近になって「パワハラ」の言葉。
セクハラ・パワハラ行為自体は昔からあったことで、人間生きていく上での「生活
の摩擦」みたいなものだと思う。
その日常生活で起きる一対一対での人間関係の話を最近は報道が取り上げ、その一
つの言葉・行動でその人のすべてを否定しているようで、そこに大きなパワハラを
感じる。
セクハラもパワハラも確かにいけない事なんだが、そこの所だけが議論され、どう
してそんな事が起きたのかは問題視されない。された方の受け取り方で大部変わっ
てくるのも確かだ。理由関係なく「言ってはダメ」となると、どう人と接していい
のか分からなくなることで、人との関わりが面倒になり、閉鎖的になる。
結果、最後は人の本当の心は見えづらくなるだろう。
今言えることは、手もだめ、口もだめ、次は何だろう。世の中、ますます生活しに
くい環境になっていると思う。
最後に、あくまで私のひとりごとだと思い、許してくださいね。
そして、もう一つ思うことは、これからの求人。
今からは人手不足で雇用される方が会社を選べる状態。
雇用面が改善して、働きやすい環境になる事は良い事なんだけど、その反面、ふん
ばりがきかなくなっている。
「注意されて○○がいやだから、もうやめよう」と次の仕事へ転職を探す人が多い
だろう。
そこで指導しなければ、会社の質、お客様への対応が悪くなり、悪循環となる。
んーどうなんだろう。
私自身、親から会社を引き継いだ頃は、今まで学んだ事を会社経営に反映し、お客
様に対しての言葉遣い、そして挨拶を厳しく従業員に指導していた。
でも今は、世の中から敬遠されるこの仕事であり、人手不足のため、今いる従業員
に負担が大きい。そのため、思っていることを言わなくなったのは確かだ。もっ
と、お客様のため、そしてこの屋久島のためと自分にできることはしたいのだが、
できない現状でもある。これからますます大変になるだろう︱
葬儀屋さん、たくさんの人の旅立ち、別れをお手伝いする。子供たち、孫たちな
ど、故人との別れの涙する姿が飛び込んでくる。
その度に、故人は知らなくても、もらい泣きしそうになる。
「大切な人との別れ」
生きている上で、一番つらく苦しいこと。
いくら後悔しても、会話をすることももうできない。頭の中で生前の姿、言葉を思
い出し、涙を流す。
けんかしてもいい、それも幸せ。
生きているからこそ、できること。
人生、たくさんつらいこと、苦しい事はある。
でも、その人との別れに比べれば、大きな問題でもない。
一瞬で葬儀は終え、世の中は何も変わらないけど、その人といた空間だけがぽっか
りと空いていく。寂しさ、悲しさで胸が苦しくなる。
「大切な人との別れ」それは、必ず訪れる。
人間の幸せは
人に愛されること
人にほめられること
人の役に立つこと
人から必要とされること

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