ある飲み会での話で、幼稚園の園長先生の隣に座った。

園長先生は、何に対しても先を読み、自分から率先して動かれる人である。
息子の話から夜の話など、酒を飲みながらいろんな話をした。そんな中でとても驚いた話があったので、ちょっとまとめて紹介します。
現在、少子高齢化の中、親が子供一人一人に力を入れている。だから、昔に比べて子供の喧嘩にも親がすぐ出てくる。教室面では、英語など以前は中学生になってから教わる事が、小学生時代、地域によっては幼稚園から教える所もある。確かに、幼児時代は何でもすんなり覚えやすい時期ともいえるだろう。
世の中の移り変わりと同じように、子供を育てる環境も変わってきた。
私自身、幼稚園の頃、思い出すのは藤の花が日陰を作ってくれていた砂場で遊んだ事。山を作ったり穴を掘って水を溜めたりと、そこには無限の楽しみがあった。
さて、今回言いたかったのが、これからの話。
砂場に、割れて水漏れするバケツがある。今ならそんなバケツを親が見たなら「新しい物に替えてください。ケガをしたらどうするんですか」と新しいバケツに取り替えを求めるだろう。
でも、子供たちは水が漏れるよと言うだろうけど、新しいバケツを買ってくれとは言わないだろう。
「水遊びがしたい」「さてどうするか」
砂場の砂を先に入れた後、水を溜める。そうすることで水を運ぶことができるのだ。
「なるほどね」
人間は、生きていく上でいろんな問題があれば考え対応し、問題解決をしてきた。
不便だからといって、すぐに買い与えてしまえば、考える力をのばすことができない。
こんな砂場に、生きていく上での原点を見つけたようで、目からうろこ状態で驚かされた。
そして、時代の流れを理解しながらも、原点にある子供たちの成長を大切にしている教育者の姿に心を打たれた
出来事でもあった。
桜の花が咲き、新しい年号を迎えようとする4月。
Sさんが亡くなった。
最近会う機会がなかったけれど、お元気でいらっしゃるものだと思っていた。
1本の電話から、病院に迎え、自宅へと搬送。
Sさんは、ほんと眠っているようにお顔。
安置が終わり、家族に線香をあげてもらい、故人の横でこの数ヵ月の話を伺った。
私は、会話の中で、生前のことを思い出し、抑えていた感情が溢れ出し、涙してしまい、私自身、遺族の前であんなに泣いてしまったのは初めてのことだった。
思えば、いつも出会うのは斎場。
自分自身で運転し、ほとんどと言っていいほどお参りに、来られ、ロビーでいろんな方と話をされ、こんな私にも、いつも笑顔で話しかけてくれた。
また、いろんな団体に所属し、イベント事にも積極的に参加し、この屋久島島民のためにと、頑張ってこられた人生でした。
ほんと、人とのつながりを大切にされる人で、私自身もかわいがってもらえた。
ある会合で一緒に食事する機会があり、食事を終え、Sさんは一服のため外に出られた。
その瞬間、私はいつものいたずら心で扉の鍵を閉めて知らんぷり。その後、当然Sさんが扉が開かず困っていると、周りの人達が気付き、慌てて鍵を開け走った。
みんな、俺に向かい、(こんなことするのは、わーやねー)と、あたふたしていると、Sさんは(おいが怒らないって、わかっちょるもんやから)と、笑顔で冗談を受け入れてくれた。
今思えば、歳がいっても黒いサングラスをするくらいお洒落で、俺にとってもお父さんというか、おじいちゃんというか、とても親しみの持てる方で、大好きでした。
通夜、葬儀と、島内外から多くの方々がお別れに来られた。
また、敬供品も、今までにないぐらいあがり、これもSさんの人柄だとつくづく思った。
最後に、本格焼酎三岳は、みんなのそばにあり、つらく苦しい時は癒し、嬉しく楽しい時はさらに笑顔にしてくれた。
みんなの心に寄り添ってくれる存在、三岳。
Sさん、貴方自身が、三岳そのものだと思う。
長い間、ほんと、お世話になりました。
そして、お疲れ様でした。
葬儀のウラ話
訃報の電話を受けた時、(たいへんな事になった)の一言である。
日程を決めるにも、Sさんは島内外お付き合いが広いため、日にちを延ばして頂いた。
そして、段取りに入ったが、今回いろんな問題点があった。
まずは、運送面でフェリーがドック入りでいない。そのため、花材や返礼品の入荷が通常より一日遅くなる。急ぐなら飛行機となるのだが、天候は崩れるとの予報。欠航の多い飛行機、それとも時間のかかる船が悩んだが、飛行機で送ってもらった。
まだ新機種になってから乗ったことがないのに、花材が先に乗ることになるとは~羨ましい。
ちなみに、花の箱は葉の部分が大半を占め、大きいし重い、ってことは運賃も高くなる。
また、新機種は以前に比べて小型化し、日用必需品が優先であり、分散され積まれて、飛行場に何度も取りに行った。
確かに運賃は船の何倍にも高くついたけど、まず品物がなければいけないので、商売人としては当然のことである。
次に、人手確保。今の少人数では回しきれないので、急遽、鹿児島の息子二人に連絡。一人の息子の葬儀社社長に連絡、事情を説明し、息子と先輩一人の手伝いを依頼、さらに花を分けてもらった。
これで三人確保、とても大きな力を得ることができた。
そして、花材の確保。この日は市場の裏日であり、卸屋さんにも花がない。
ないというわけにはいけないので、卸屋さんも大変。
落ち着いてからの話だが、卸屋さん、鹿児島市内の花屋をまわり、花材をわけてもらい集めたそうだ。
また、生花を挿す容器も足らなくなり、宅急便では間に合わないので、これも急遽飛行機送り。品代よりも運送代の方が高くついた。
会社自体も大変な日々だった。
連日、朝から夜遅くまで鳴り止まない電話、送られて来る注文書。
従業員みんな、自分でできることを夜遅くまでやった。
2日間、挿し続けた生花200基。
夜、強風の中立てた花環30本。
祭壇設営など、すべてが終わったのは、夜が明け始めた5時半だった。
通夜、葬儀は、無事施行することができた。
振り返り思うこと。
無事葬儀施行できたのは、みんなのおかげです。
通夜、葬儀と、駐車場整理してくださった○○会社の従業員さん、ありがとうございました。
鹿児島の葬儀社の社長さん、従業員さんのバックアップ。
鹿児島から急遽帰島し、力となった息子二人。鹿児島の卸屋さんが、必死に花屋をまわり花材を揃えてくれたこと。そして、時間問わず、私と一緒に頑張ってくれた両親と従業員。
人のつながりの大切さを感じた出来事でした。
皆さん、ほんとありがとうございました。

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