普通ほど矛盾した言葉はない。
もっと問いかけると、
「普通は普通」という答えがかえってくる。
日常生活、主婦が「晩ごはん何がいい」と聞けば「何でもいいよ、まかせる」と言
われる事が多い。作る主婦にとって一番むずかしい答えである。
葬儀の打合せをする時もよくある話だ。
脇の方から「普通でいいから」「無理すんなよ」とアドバイスがとぶ。
でも、その普通はどれなのと遺族は悩む。
当社に問いかけられると、僕は言う。
「人間だれでも安からず高からず。中間の物を選びますよ」と当たり障りのない答
えを返す。
また、葬儀代、最低限でいくらでできると問われることが多い。
打合せすると、葬儀代、故人の分は一番安い物ですぐ決まる。
でもほかの物はなかなかそうはいかない。
「返礼品」は「やっぱりこのくらいは…」
「料理」は「やっぱりオリはとらなければ…」
故人にはお金はかけないけれど、自分のプライドにかかる物はやっぱり見栄が出
る。
葬儀代は生きている人間の飲食代・返礼品代により大きく変動する。
葬儀代=見栄で費用がかかるということなのだ。
結果、打合せが終わる頃には、おさえるどころか通常価格になってしまう。
そして葬儀終了後、支払いという現実が待っているのだ。
「普通は○○だ。だからあなたはおかしい」と言う人がいるのが、僕は嫌いな言葉
だ。
「普通って何、だれがその普通を決めたの」と思う。
「宗教」もそう、人間は弱い、不安がいっぱいだから、だれかにすがりつきたくな
るものだ。
信仰は本人の自由です。
でも「自分が正しい」「相手がおかしい」と思ってはいけない。
相手を否定してはいけない。
アドバイスはしてもいいけど、勧誘はしてはいけないと思う。
「答えは一つではない」「葬儀もいろいろ」
葬儀のやりかたも日々変わっていっている。
いいとか悪いとか、そういうことではない。
原点にあるのは、「故人を敬うこと」それだけは変わらないし、忘れてはいけない。
「普通」って何?