3月、お別れシーズン突入。

この一ヵ月間、送る人、送られる人、いろんな思いの中、たくさんの別れ、旅立ち
が訪れる。
うちの二男も東京の花屋に就職して早四年を迎えた。
給料はあまり変わらない状況の中、仕事量だけが増え、忙しい毎日を過ごしてい
た。
そんな二男が三月から、鹿児島の葬儀社に入社した。
こんな息子の一歩を見ていると、自分の歩んできた人生と重なることがあり、ふ
と、あの時の自分が今の息子なんだなーと思い、ふと昔の事を思い出した。
私は、高卒後、千葉の葬儀社下請けの生花店に就職し、5年のちに鹿児島の葬儀社
に1年勉強のあと、帰郷し跡を継いだ。
世の中はちょうどバブル期だったんだろうけど、低所得で休日は月4日、朝から夜
遅くまで働いていた自分にとっては何も関係なかった。
勤めていた会社は、昼、夜の食事は提供され、私の場合、高卒で鹿児島から就職だ
ったので、社長宅のすぐ近くのアパートに住み、朝食は社長宅で食べさせてもらっ
ていた。
さらに家賃4万に対し2万会社が負担してくれたので、ほぼ不自由のない生活をさ
せてもらった。
こんな高待遇の生活だったのだが、問題もあった。
アパートは隣に大家が住んでいたので、友達が来て騒いだりするとすぐ壁を「ドン
ドン」と叩かれる日もあった。
洗濯機は当初買うお金もなくて、夜遅くに近くのコインランドリーに出かけてい
た。
そんな、誰も知らない一人暮らしの時、初めて料理を作ってみようと思った。
今まで包丁すら持ったことなく、正直ご飯を炊いたことのない、今時の日本男児に
しては貴重な存在。
そんな俺が初めて料理に挑んだのが、なぜか鶏の唐揚げ。
最寄りのスーパーでパックに入った手羽元を買い、油を買って家へ。
ほんと、したことないので、適当に油を注ぎ、肉をそのまま投入。
「お、調子いいぞ」としばらく見ていると、肉の間から血が流れ出てきた。
もう、その状況を見た瞬間「もう無理」と思い、調理をやめた。
それからというもの、現在まで台所に立つことはなくなった。
アイラブ コンビニ

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