「痔」先祖代々から受け継がれており、今言えることは、自分の子供が四代目とな
っている。
この数年、彼女(痔)と仲良くつきあってきたけど、最近つかれた時、飲みすぎた
時、よく出てきてけんかをし、苦しんできた。鹿児島で「ぢ」の看板を見るだけ
で、一文字なのに痔の苦しみが表現されている当事者の人はしみじみと痛みが伝わ
ってきたものだった。このままではいけない、さよならをしなければと思い、別れ
を決断したのだ。
数週間薬で腫れをおさえようとしたが、なかなか思うようにいかず、手術をする日
を迎えた。
数年前の手術の時と同じように外は晴天、自分の心の中はどしゃぶり。俺、本当に
手術するんだ、痛いだろうなー、何より恥ずかしいなー。
いろいろ考えながら病院へ。
まず、院内に入ると、女性が笑顔でお迎え、すぐに手術服に着替え、点滴が開始さ
れた。手術の順番は二番目らしく、ふかふかチェアーに座り、その時を待った。し
ばらくすると、一番目に手術した人がカーテン越しに隣に帰ってきた。すごく疲れ
た様子で、飲み物を看護師さんに頂いていた。
しばらくすると、ついに自分の番が来た。点滴の台を持ちながら歩いて手術室へ。
部屋にはいると、リラックスできるようポップス系の音楽。あーもう逃げられな
い、今ここまで来てやめた人はいないだろうなと、弱気な気持ちになりながら手術
台へ。
うつぶせになり、パンツをおろされる。
「ギャー」と思いながらも、手術部がよく見えるよう、おしりにガムテープで広げ
られた。口には酸素マスク、数分後、浅い眠りについた。何とも言えない刺激が伝
わってくる。先生は、切り取った痔を見せてくれた。直径2ぐらいの大きめの内側
の痔、そして、ひとまわり小さめの、外側の痔が二つ。確かに大きいと思いなが
ら、手術室を後にした。
手術前に座っていたふわふわチェアーに座り、手術後の心を癒すはずが、下から伝
わってくる痛みが時間が経つにつれ強くなってきた。寝ていられないのだ。トイレ
に行き、おしっこしたいけど、おしりに力が入れられず、出てこない。したいけど
出ない、この苦しみを何度か繰り返した。
少し落ち着いたら、病室へ。
うす味の病院食、あっという間に完食。その後、痛みをこらえつつ、近くのラーメ
ン屋に脱出。空腹には勝てなかった。前の日の夜から何も食べていなかったから
だ。
その日の夜、痛みのためあまり眠れなかった。
次の日、即退院を決めたが、それから一週間、動けない、痛い、苦しいが続いた。
その間、仕事ができるわけもなく、ただ横になり、痛みとの闘い。「あー手術しなけ
れば良かった」と何度も思った。その苦しんでいる俺に、初めは優しく気遣ってい
た母も、日が経つにつれ「なんで退院したとかー。入院していれば入院給付金も出
たとに。バカやがー」と言われた。
そんな苦しい日々も今はだいぶ落ち着き、毎日「ウォシュレット」と仲良くしなが
ら長年連れ添った彼女の事を思い出した。
今は、俺の心は「ウォシュレットのやさしさ」で満たされている。
先日、最近になって二度目の手術を受けた。