「死」あなたは受け止められますか。

もし、あなたが「余命半年」と言われたらどうしますか。
みんな、死は分かっていても他人事のように思っている。
どんなにお金や国を動かす力があったとしても、どうすることもできない。
この世に一人で生まれてきて、そして一人で死んでいく。
いつかは終わりが来るとは分かっていても、それがいつなのかは分からない。
そう、長生きしたいと思っていても、明日かもしれない。いや、今日かもしれない
のだ。
朝、目を覚まさないかもしれない。
ほんと、この心臓の鼓動がいつ止まるか分からない。
「あなたの命、数ヶ月」どうしますか。
俺なら、間違いなく先生や家族に「お金も何もいらない。どうか命だけは助けてく
れ。死にたくない、お願いだ…」とすがりつくだろう。
言葉では言い表せない、これこそ目の前真っ暗だ。
寝ることもできないだろうし、気が狂ってしまう。そして、心配する家族に辛くあ
たるだろう。
毎日毎日、恐怖に包まれ、言葉が悪いが死刑執行を待つ受刑者のような気持ちにな
るだろう。
「どうして俺なんだよ」と心の中で叫び続ける日々。
本人が一番辛く苦しいけれど、その姿を見守る家族もともに辛く苦しい時間とな
る。
仮想の話ではない、現実がそこにあるのだ。
平成 26 年春、一人の男性が愛する子供、孫たちに見守られ、別れを告げた。
余命半年と言われてからの二年数ヶ月。
限られた命を一生懸命輝き続けた。
この時間を、家族一人一人の心は、言葉に言い表すことのできない気持ちで過ごし
てきた。
奥さんは「いつまでもいつまでも私のそばにいてほしい。同じ時間を過ごしてほし
い」
子供は「俺は親のために今まで何かしてあげられたんだろうか。逆にいつも支えら
れてばかりだった。治す方法はないのだろうか」と思う日々。
孫は、今までかわいがってくれたじいちゃんの笑顔、言葉が涙と一緒にあふれ出
す。
分かっていても信じたくない現実。
そして葬儀の日。
祭壇に飾られたたくさんの家族との写真。
その中心で笑っている○○氏の姿。
この数ヶ月、本人、家族ともども一生懸命輝き続けた日々。
本人が決めた一枚の遺影写真。
そして本人が準備した一本の肉声のテープ。
本人が声が出るうちにと、一人で病室で吹き込んだのだもの。
何回も録り直したたくさんのテーブの中の一本。
苦しげでかすれた声で、死という現実を背負いながら遺したテープ。
そんな状況でも、いつもかわいがっていた孫に贈る「孫」の歌。
命の限り、声の限り歌い続けた最後の歌。
式場内がすすり泣く声に包まれた。
そして、その後、
「本日、ご会葬…みなさん…ありがとうございます。両親、兄弟、そして先輩方が
お迎えしてくれることでしょう。皆さん、今までありがとう、ありがとう。…さよ
なら、さよなら…」
ザーというテープの雑音が別れを告げた。
今まで初めてだった、本人のお別れの言葉。
ほんと、できるようでできない。
死という恐怖に立ち向かい、そして受け入れ、家族へのメッセージや周りの人達へ
のお礼の言葉。
命のともしびが消えるまで、いや、消えても人に感謝する心。
たくさん消えゆく命の一つかもしれないけど、とても大きな意味を遺してくれた。
「私達が、生きるという意味」
命は、ローソクのように短くなり消えていくけれど、その人が遺した思い、心はま
た新しい命へと引き続けられていく。
最後に○○氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、あなたとその家族に出会えた事に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
命、限りがあるから輝ける。

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