私が中学2年の頃、祖父は自宅で亡くなった。2年あまり、寝たきりの生活とな
り、介護なしでは生活していけなかった。
その頃は当然ヘルパーさんとかいなくて、祖母が面倒をみる毎日だった。
初めの頃は俺もじいちゃんを数回お風呂に入れたりもしていた。
でも、中学生になり、部活など自分が忙しくなるとそれを理由に何もしなくなった
俺。
汚い物を扱うがごとく、めんどくさがる心があったのだ。
あんなに優しくしてくれたじいちゃん。
よく玄関口でとれたてのサバをさばいては、小さくして食べさせてくれた。
お風呂に入るのも一緒、焚き物で焚いた五右衛門風呂の中で、大きな手のひらで何
度も何度も俺の顔を洗ってくれた。
また、年の暮れの年の神様が来た時も、大きな胸元で包み込み守ってくれた。
口数は少なかったけれど、いつもかわいがってくれたじいちゃんだった。
そして、じいちゃんの家の壁にある振り子時計のネジを回すのは僕の役目だった。
僕が朝、学校へ行き、部活して帰ってきた時も、一日中寝たきりのじいちゃん。
いつも変わらないあの天上を見つめながら、「うおーうおー」と嘆き、床ずれの痛み
を耐えながら、おむつ姿のじいちゃん、いつもどんな事を考えていたのだろうか。
僕は身体が自由に動くから、そんな苦しくつらい思いをしているじいちゃんの気持
ち、全然わかってあげられなかった。
ばあちゃんとの思い出。
よく三枚肉とニラだけのおかずや、どこでもあったくさぎのみそ汁を作り、卵を入
れて食べさせてくれた。
今でも思い出すのが、お風呂に入ろうとしたら熱すぎてばあちゃんを責め立てた
事。
それでも、水を入れうすめて優しく接してくれた。
そんなばあちゃんも、じいちゃんが亡くなってから痴呆症となり、家でも介護がで
きなくなった。
そして、鹿児島の施設に入り、私もその頃には千葉に就職しており、おばあちゃん
との心も距離も遠くなっていった。
いつかは訪れる死。
生きていて、後悔するのは死の別れ。
そこには元気な頃のたくさんの楽しかった思い出に対し、老いてからは心の遠くな
った自分の姿。
なんだかんだ理由をつけては美化しようとする、ずるい自分の姿。
たくさんいただいた愛情を生きているうちにどれだけ返せるものだろうか…。
老いていく姿は将来の自分の姿なのに。
これから何回こんな別れを迎えるのだろうか。
僕は思います。
大切な人が亡くなった時、つらく苦しいのは当然の事だけど、どれだけ後悔しない
かは、今の自分たちの心、そして行動により変わるものだと思う。
今ある幸せに感謝。
親の愛情に感謝。
支えてくれているみんなに感謝。
ありがとう。
命(後編)